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句会の吟行で奥会津に田植え体験にいったのは2016年の五月末だった。

私には田植えなど珍しくもなかったが、代田の土の匂いに「おお、山口の田舎と同じ匂いだ!」結構その気になっていた(当たり前だけど)

本来は機械で植えるのを我々のために代田一枚を残してもらっていたのだ。

苗を持つ手で指折りする人もいて、後に控えている句会が気になって無邪気に初体験を楽しんでいられないらしい。

「森林の分校ふざわ」は廃校になった元分校を活用して宿舎で教室がそのまま寝泊まりする部屋だった。
「理科室」「音楽室」「家庭科室」と名前がそのまま残って懐かしさと教室の木の匂いが私たちをわくわくさせた。

食事は地元の奥さんたちが担当で手打ち蕎麦から鮎の串焼き、からみ餅等々歓迎してもらい、すっかり仲良しになっていた。

2泊3日で句会5座をこなし、もうくたくたで俳句はうんざり、と言いながら、帰りの電車の中で袋回しという俳句遊びに興じるとはホント俳句バカの連中でした。

ふざわ分校の皆様、その節はお世話になりました。
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# by haikutarou | 2019-06-24 07:05 | 日日闊達に(日記) | Comments(4)

靫草(うつぼぐさ)の花穂が黒ずんで来る頃だそうで、靫草は夏枯草(カコソウ)とも呼ばれ昔から洋の東西を問わず薬草として知られていたようです。

そういえば関東では殆ど見かけませんから、この野草の存在をすっかり忘れていましたが、田舎では血止め草として幼子まで知っていました。(また昔話です)

怪我でも少々の出血では、親も本人も慌てません。靫草を唾液でもんで傷口に当てるとぴたりと止まることを知っていますから、靫草の生えている所に走ります。
私は小学一年生からの田舎暮らしでしたから、怖いもの知らずの所があり、よく怪我もして靫草にも母にもお世話になっていました。

中学生の頃は母とよく喧嘩をしました。「もうお前の面倒見れないから出てお行き」が口癖で「ああ、そうかい」とぷいと出ていきます。野宿できる所を三箇所ぐらい確保していましたから平気です。冬以外なら木の実や畑物で2日位は平気で3日目位になると流石にご飯が食べたくなって家に帰ると母がとんで来て「もう帰って来ないかと思った」とわんわん泣くんです。

親なんて甘いもんだとその様子をさめた目で眺めていました。

世間から「親父がいないから」と言われるのが辛かったのでしょうが、私はそんな母にますます反発して悪していました。

今頃、あの世で「お前、昔の話はそのくらいでいいから、早くこっちにおいで」と待って居るかも知れませんね~

6月28日は母の14回忌の命日ですから、私の昔ばなしは母の供養でもあるのです。
「母ちゃんごめんよ、もうすぐいくからさ、また喧嘩しょうな」

*「朴散華」~朴の花は強い香りを発しますが、花は高木の高い所に咲きますから
その香りが根本周辺にまで降りそそぐことをいいます。

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# by haikutarou | 2019-06-22 07:05 | 七十二候 | Comments(4)

『山旅日和』

Windows95が発売されて我が国のインターネットの世界が急速に広がっていきました。しかし当時は画像1枚、音楽一曲をネットに乗せることは大変な作業で厳選に厳選を重ね、限界近くまで縮小していました。
グログなどという簡単便利な道具はなく「HTPM」全てを自分で打ち込んで作成する「ホームページ」という現在、企業PR用に使用しているもの原型しかなかった時代です。
HTPMタグという世界共通の言語用の分厚い辞典で探しながらページを作成していました。
当時、私は深田久弥著の日本百名山登頂を目指して日本列島を駆け巡っていましたから、全国の登山仲間のホームページでの山情報は安全登山のための貴重なデータでした。
貴重なデータを受けるばかりでなく、私からの情報発信もお互いの信頼には不可欠でしたから山のホームページ『山旅日和』を作成して情報発信していました。各地での山仲間とのオフ会も楽しかったなあ~
まだデジタルカメラなんてものはなく、フイルム写真をデジタル化していましたから費用も時間も掛かった時代でした。
デジタルカメラなるものが発売されてからも、しばらくは画素数が低く使い物にならない時がしばらく続きました。
国産初のデジタル一眼、「ニコンD7」が発売されたのが2000年頃だったと思います。例によって即、飛びついた私です。
それから山歩きが俄然楽しくなりました。
あれから20年・・・・・こういうのがあったらなあ~という当時の夢のはるか先をゆく現在の現実はただただ凄い!!と言葉もありません。
でも、負け惜しみでなく、あの時代の方が楽しかったと思います。
「北海の熊」や「秩父の狼」、「阿蘇の姉御」とか強烈な個性の面々でした。北海の熊さん・・・どうしてるかな~オコジョの写真撮りの名人でした。熊のような大男が夢中にオコジョを追いかけている姿には笑ったものです。
私は・・・もちろん「足柄の金太郞」です。

もう何度かブログに掲載した当時のお気に入り写真です。
標高日本一の「富士山」を二番目の「北岳」稜線から展望しています。
標高3000mという雲上の遊歩道です。
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# by haikutarou | 2019-06-20 07:05 | 日日闊達に(日記) | Comments(10)

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この花は現在、神奈川県周辺では畔道や農道なで群れ咲いている野草です。
しかし、15年ほど前に私が見つけた頃はぽつりぽつり程度で、こんなに綺麗に整った花が何で野辺に咲いているのだろうと不思議思い調べたら、鑑賞用に入って来た外来種で名前が「赤花夕化粧」でした。
なんと粋な命名だろうと、そのひと夏この花を追いかけた記憶があります。

現在は、群れ咲いていますから花も小さくなって雑草になり下がり、昔の面影はありません。
(うん?、この言葉何処かで聞いた気がすると思ったら自分のことでした~)

他にも鑑賞用の外来種が野生化しているケースが多くあります。

初夏に咲いていたミナガヒナゲシもそうですね。

その陰で姿を消してゆく万葉集に登場するような、やまとなでしこ達も多いことだと思います。

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# by haikutarou | 2019-06-18 06:20 | 生き物物語 | Comments(0)

会社を早期退職してからの5年間小田原市に在住しました。

海あり、山あり、川あり、その大自然の中に小田原城をはじめとした史跡が市内全域に散らばっていて私を魅了し、私の山麓歩きが始まりました。

その小田原といえば梅の産地で全国的にも知られていますが、管理されない栽培用の梅林や梅畑がどんどんと増えているのが当時の現状でした。

私の山麓歩きの道々に、そんな梅林や梅畑があちこちにあり、ちょっと中に踏み込むとスーパーマーケットの「最高級品青梅」として売られるであろう立派な梅がごろごろ転がっていました。

私は子供の頃から山海川の自然の産物は「皆のもの」という概念根付いていて、道にはみ出して居る枝の果実や、やがて腐って土になるであろう果実を拾うことに罪悪感はありませんから、ウォーキングの楽しみとしてザックの中には諸々の収穫物入っていました。

スーパーで買えばささいな金額ですが、自ら山麓に分け入っての大自然からの贈り物としての喜びと満足感があるのです。

そうして、果実酒やジャムに加工貯蔵して一年中楽しんだものです。

ひとつ、梅干だけは上手くできませんでした。
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# by haikutarou | 2019-06-16 07:30 | 七十二候 | Comments(4)