山本健吉の現代俳句(その3)

遠山に日の当たりたる枯野かな   高浜虚子

 虚子二十六歳のときの作。著者によると、虚子はこの句にいたって、初めて本領発揮したとあります。それまでの俳諧味のある作風一辺倒から訣別して客観描写へと移っていくきっかけとなった一句だったようです。
 著者は何か茫漠としてつかみどころの句である。と云いながら、「枯野」と「遠山」との取り合せに、かくべつおもしろみがあるはずもないが、二つの名詞を結ぶ「日の当たりる」という言葉によって「遠山」が生き、「枯野」が生きてをり、「ほの暖かい主観を内にひそめている句である」と云っています。『茫漠としながら、主観を内にひめている』この言葉に心惹かれました。


彼一語我一語秋深みかも   高浜虚子

 この句の情景をいかように具体化しようが、それは読者の自由なのである。だだ、そのような情景はいっさい捨象して、二人の男の対話だけを抽き出し、そこに深秋の気を感じ取ったところが、この句のすぐれているゆえんである。具象化だけが詩人の才能ではない。それ以上に抽象化の才能が必要なのだ」味わいあるる言葉が続きます。

 先に記事にした「類似句」で私の句とした「客一人板前一人夜の秋」はこの虚子の句が下敷きだと解りました。腹痛で悶々としているときにふと浮かんだ句でしたがいつか読んだものが頭の片隅に残っていたんだと思います。やはり捨てて正解でした。

名句の裏側を覗いて見たいと思って、山本健吉の現代俳句を読み始める


by haikutarou | 2017-09-12 17:17 | 名句鑑賞