下手な俳句

下手が良しといふは他人事花は葉に
茎立の大根にたかる蝶々かな

 俳句を極めた達人は口を揃えるように「俳句は下手が良し」と言う。かの芭蕉翁も「俳句はわらべにさせよ」と弟子たちに語っていたと伝えられている。
 では下手な俳句とはどんな俳句だろうか。例えば揭句の「茎立の」自作の句はどうだろうか。季重ねではあるが、かな止めで一応きちんと表記された写生句だが誰もが目にする景で新鮮味がない。だが選者は「下手な俳句だ」と言わない。「駄句」と言うか、無視で流すだろう。
 そう言えば句会で選者の「下手でいいね」という選評は聞いたことがない気がする。私が思うに「下手が良い」とか「下手に詠みたい」というのは俳句を極めた達人たちの憧れであり、希望なのではないかと思う。つまり俳句を始めた時のようなキラキラと輝いた俳句が詠みたいという裏返しではないかと思うのだ。
「釣りは鮒に始まり鮒で終わる」の例えのように何事にも初心に立ち返ることの必然解いているのだろう。

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by haikutarou | 2018-04-09 11:01 | 自句自解