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カテゴリ:七十二候( 29 )

靫草(うつぼぐさ)の花穂が黒ずんで来る頃だそうで、靫草は夏枯草(カコソウ)とも呼ばれ昔から洋の東西を問わず薬草として知られていたようです。

そういえば関東では殆ど見かけませんから、この野草の存在をすっかり忘れていましたが、田舎では血止め草として幼子まで知っていました。(また昔話です)

怪我でも少々の出血では、親も本人も慌てません。靫草を唾液でもんで傷口に当てるとぴたりと止まることを知っていますから、靫草の生えている所に走ります。
私は小学一年生からの田舎暮らしでしたから、怖いもの知らずの所があり、よく怪我もして靫草にも母にもお世話になっていました。

中学生の頃は母とよく喧嘩をしました。「もうお前の面倒見れないから出てお行き」が口癖で「ああ、そうかい」とぷいと出ていきます。野宿できる所を三箇所ぐらい確保していましたから平気です。冬以外なら木の実や畑物で2日位は平気で3日目位になると流石にご飯が食べたくなって家に帰ると母がとんで来て「もう帰って来ないかと思った」とわんわん泣くんです。

親なんて甘いもんだとその様子をさめた目で眺めていました。

世間から「親父がいないから」と言われるのが辛かったのでしょうが、私はそんな母にますます反発して悪していました。

今頃、あの世で「お前、昔の話はそのくらいでいいから、早くこっちにおいで」と待って居るかも知れませんね~

6月28日は母の14回忌の命日ですから、私の昔ばなしは母の供養でもあるのです。
「母ちゃんごめんよ、もうすぐいくからさ、また喧嘩しょうな」

*「朴散華」~朴の花は強い香りを発しますが、花は高木の高い所に咲きますから
その香りが根本周辺にまで降りそそぐことをいいます。

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by haikutarou | 2019-06-22 07:05 | 七十二候 | Comments(4)

会社を早期退職してからの5年間小田原市に在住しました。

海あり、山あり、川あり、その大自然の中に小田原城をはじめとした史跡が市内全域に散らばっていて私を魅了し、私の山麓歩きが始まりました。

その小田原といえば梅の産地で全国的にも知られていますが、管理されない栽培用の梅林や梅畑がどんどんと増えているのが当時の現状でした。

私の山麓歩きの道々に、そんな梅林や梅畑があちこちにあり、ちょっと中に踏み込むとスーパーマーケットの「最高級品青梅」として売られるであろう立派な梅がごろごろ転がっていました。

私は子供の頃から山海川の自然の産物は「皆のもの」という概念根付いていて、道にはみ出して居る枝の果実や、やがて腐って土になるであろう果実を拾うことに罪悪感はありませんから、ウォーキングの楽しみとしてザックの中には諸々の収穫物入っていました。

スーパーで買えばささいな金額ですが、自ら山麓に分け入っての大自然からの贈り物としての喜びと満足感があるのです。

そうして、果実酒やジャムに加工貯蔵して一年中楽しんだものです。

ひとつ、梅干だけは上手くできませんでした。
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by haikutarou | 2019-06-16 07:30 | 七十二候 | Comments(4)

螢が明かりをともして飛び交う頃で無数の螢が交尾の相手を求めて乱舞します。
昔の人は蛍合戦と呼んでいたようです。子供が麦藁で編んだ小さな籠をもって螢刈りともいっていました。

こういう話になると田舎の実家の話になってしまいますが、わが家の裏方に小川が流れていて、螢の時期になると手を掬うように払うと2,3匹の螢が掌に捕まるといったほどに乱舞していましたから、持ち帰って蚊帳の中に放して眠っていました。

夏の間の行水の場所でもあり、それぞれに自分用のお湯持って行水していました。女性も夜が更けてこっそりと行水していたようですから平和だったのです。

そこは平家の落武者の里ともいわれ、宗清という武将の名前らしき部落ありましたが、螢は源氏蛍の方が多くて、平家蛍は源氏蛍の後で申し訳程度に飛んでいるだけでした。

関東に来て螢の里という看板に期待して行くのですが、どこもちょぼちょぼの螢で失望したものです。

螢にも北限がありやはり西日本の方が群生するのでしょうか?

そういえば、沖縄には約二十種類の螢が生息していて、一年中螢に出会えるそうです(?)、やはり、暖かい地方の昆虫なのかも知れません。

〈 行水や螢あかりに背ナ流す 金太郎 〉

写真は高山植物の「ゴゼンタチバナ」で名前のとおりきりりとした好きな野草です。
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by haikutarou | 2019-06-12 07:40 | 七十二候 | Comments(4)

芒種の「芒」は「のぎ」といい穂先に針の様な突起の事で、芒のある植物の種を蒔く時期だそうで、稲の種を蒔く、時期だということです。

俵の種籾を水に浸して芽吹き始める前に苗代田に蒔きます。祖父はメイン品種の他に試作品という何種類かの新しい品種を農協より取り寄せて収穫量の比較をしていました。

その様な稲の品種改良の手助けをする農家を篤農家と呼んでいたようです。

私は山麓歩きで蟷螂を見つけると棒切れで攻撃して、しばし遊びます。

と大きな鎌を持ち上げて逆らう様子が面白くて、彼等には私の姿はどの様に見えて、どの様に認識しているかのか想像すると面白いですね。

昆虫の中には固まって死んだふりをする物も多い中で、少なくとも怪物に対して戦うとする姿勢に感動するのです。

以前、スポンジ消しゴムのような蟷螂の卵を見つけてベランダのプランターに差し込んでいたら、ある春先のベランダに羽蟻のような小さな虫がウヨウヨしています。何だろうと様子を見ていると、あの蟷螂の卵から出るわ出るわ、凄い数の蟷螂の孵化が始まっていたのです。1センチ位の大きさながら、ちゃんと大人の蟷螂の姿していました。

蟷螂の幼顔して鎌を振る 金太郞

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by haikutarou | 2019-06-06 07:30 | 七十二候

麦が実り収穫期を迎えます。秋の稲の収穫に対して「麦の秋」ともいい、この時期の代表的な季語です。「麦秋」とも言います。

小津安二郎監督、原節子主演の『麦秋』という映画もが印象に残っています。

この時期には、なんといっても枇杷の実です。

実家の屋敷内から山の中まで枇杷の木はいたる所に在りましたから、「枇杷の木巡り」なる楽しい日課が一ヶ月くらい続きました。

枇杷の木は木肌がつるつるとしていて、雨に濡れると滑りやすく、また枝の分岐部分が裂けやすいという特徴があり、何度木から落っこちたことか、足を骨折する大怪我をしたことも、あの時は勉強嫌いの私が、これ以上さぼり癖が付いては大変と思ったのか母がおぶって登校してくれました。
余所の家の庭の甘い枇杷の実をこっそり取っていたのを見つかり、母と一緒に謝りに行き、親にも迷惑かけていました。

枇杷の実には忘れられない思い出が一杯で、今でも美味しそうに熟れている枇杷の実を見ると心が騒ぎます。
いや、こっそり取ったりはしません・・・いや時たましますm(_ _)m

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by haikutarou | 2019-05-31 07:04 | 七十二候 | Comments(2)

昔も今もこの花には馴染みがありませんが、勤めていた会社の後輩に山形出身の人が居て酔うと鳥海山と蕎麦の話をしていました。
民謡で紅花摘みの唄をうたっていたような気がして、紅花でふと彼のことを思い出したのです。

紅花は鬼あざみに似た頭状花で葉脈に棘があり紅花摘みは大変な作業でした。棘を避けるように花茎の末に咲く花だけを摘むので末摘花というのは源氏物語でも使われており、古来から染料として使われていたようです。

紺絣の半襦袢に茜襷に菅笠という清楚な出立の乙女たちが、最上川の朝霧の中に花を摘む姿は詩心誘う風情だったようで、芭蕉も一句を詠んでいます。
 行末は誰が肌ふれん紅の花 芭蕉

朝霧の中摘むのは紅花の棘が朝の内は少し柔らかいからだそうで、それほどに乙女の肌を傷つけていたであろうことが想像されます。

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by haikutarou | 2019-05-27 08:38 | 七十二候 | Comments(2)


実家には蚕を飼う作業習慣がなく、蚕の習性には無知なのですか、冬眠するんですかね(後で調べてみようと)

実家の庭には大きな桑の木が一本あり、夏には黒く熟した実を口を真っ黒にして食べましたね。私には女性三人の姉妹がいて、木に登れるのは私だけでしたから木の実の収穫係は私でした。他に7歳年上の伯母さんがお嫁に行くまで同居していて、収穫物はまず叔母様に献上していましたから可愛がって貰いました。
その伯母の嫁ぎ先が湯本温泉で今でも長門市の湯本温泉で息子夫婦と寿司屋をやっています。湯本温泉共同浴場の真ん前に「わかば」というお寿司屋さん見つけたら是非覗いてみてください。

その伯母と7年前に一緒に津和野観光しましたが自転車に乗ろうと元気に乗りこなしているのには呆れました。

老いたなら実年齢なんて関係なく、今がどうかですが、私の前では姉さまは未だに輝いていました。

〈桑の実や姉さま今も女王さま  金太郞〉

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by haikutarou | 2019-05-21 06:48 | 七十二候 | Comments(7)

竹の種類は多く孟宗竹から淡竹、真竹、黒竹と筍の期間は2ヶ月くらい続きます。

この時期は手を変え品を変え毎日のように筍料理のおかずが続きますから子供心に筍なんて生えなければ良いのにと思ったものです。
でも最初の孟宗竹の土の中に眠って居て地上に出てない筍を探し彫り上げる作業には目を輝かせたものです。

昔の生活に竹は必需品でどこの屋敷にも裏山に竹林がありました。

食卓のお鉢から大きくは醤油樽、味噌桶まで木桶を使っていて、その桶の箍を締めるのが竹の輪でした。大体3~5年で竹の輪を新しくして箍を締め直さないと水漏れして使いものにならなくなるからです。

何年おきかに桶職人が回って来て大体一軒の桶を一日仕事で庭に筵をひいて仕事していました。
男の子にはその仕事を興味津々でその手捌きを眺めながら竹細工という遊びを覚えていったものです。
ポケットには常に小刀を持ち、手は傷だらけでした。

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by haikutarou | 2019-05-17 06:09 | 七十二候 | Comments(0)

土の中から蚯蚓が這い出し始める頃だというのですが、関東でももう少し先のようです。

肥沃な農地作りを目指す農家が喜ぶのは蚯蚓が生息する土だそうです。子供の頃に鮒や鯉の釣りの餌は蚯蚓でしたから私には馴染みの虫で子供にも容易に捕獲できました。

でも今思いだしてみると、余り気持ち良い虫ではありませんね。

ちょうどこの季節は山辺では草苺の赤い実が熟れる頃で苺狩りがを楽しみにしていました。

当時はお腹空かせて、色々な木の実や草の実を取って食べていましたが、今食べても美味しく食べれるのは、この草苺の実がピカイチです。

立木を伐採して裸山になった所に2,3年群生する草苺ですから毎年決まった所ではなく探し歩きながらの苺摘みが楽しみでした。

写真は10年前位の小田原の奥地での見つけた群生地でのもので、ピンボケ写真です。

このところ草苺群生地はとんと見かけなくなってしまいました。

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by haikutarou | 2019-05-11 08:29 | 七十二候 | Comments(4)

私が伊豆高原に来た最初の頃、この時期になると牛蛙(食用蛙)が夕方から夜中まで啼いていました。
姿は確認できませんでしたが、本当に牛の声そっくりで啼くのに判ったのですが、いつの間にか聞かれなくなっていたことを、この記事を書こうとして、「あれどうしたのだろう」ふと思い出したのです。

私の俳句ではとっくに夏の季語を使っていますが、今日から暦の上では夏に入る立夏です。

伊豆高原もこの連休は多くの観光客で賑わい、大室山のリスト乗り場では連日50m以上の長い行列が出来ていました。

私は昨日、城ヶ崎海岸の遊歩道を歩きましたが、此処も多くのカップルウォーカーですれ違いには狭い道に戸惑うほどでした。

全てが日本の若者達ではないにしても、なんか日本の先行きにほっとさせた風景でした。

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by haikutarou | 2019-05-05 10:14 | 七十二候 | Comments(3)