紫陽花

しばしのご無沙汰でした。
結社の大きな仕事に集中している間に紫陽花の花も終りのようです。
そして、なんと驚きの6月終の梅雨明けですと、山歩きしていた頃は首を長くして、この梅雨明けを待っていたことを思い出しています。

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by haikutarou | 2018-07-01 07:27 | 名句鑑賞

流氷や宗谷の門波荒れやまず   山口誓子
夏草に汽缶車の車輪来て止まる

『年譜によれば誓子は十四歳にして俳句を作りはじめているが、本格的に精進しだしたのは三高に入ってからで、ことに大正11年東大にはいって「東大俳句会」を結成してから頭角を現してきた。そのうち秋桜子と短歌の調べや用語を取り入れ、失われていた抒情性を回復する試みなされた。それが画期的な四S時代を現出せしっめた原動力であった』

多感な14歳の誓子少年が俳句と向き合い、現状に満足すること無く、常に
挑戦的な句作活動を貫いたであろう姿が本書からもうかがい知ることが出来ました。
それが代表句「夏草」の圧倒的な迫力をもって当時の読者の度肝を抜いたであろう作品となり、現代俳句の原点になっていったのだと納得させられました。
そして、14歳の俳句少年も歳を重ねて自己を見つめるようになるのは自然のなりゆきあろうか(46歳のときの作品)

万緑やわが掌に釘の痕もなし  誓子

(ヒメヒオウギズイセンと夏草)
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by haikutarou | 2018-01-10 13:48 | 名句鑑賞

   葛飾や桃の籬も水田べり  水原秋桜子

 葛飾と秋桜子は切っても切れない因縁がある。処女句集『葛飾』の中からだけでも美しい風景句をいくつも探し出すことができる。葛飾は一ころの作者にとって格好の吟行地であった。だが彼は言っている、「私のつくる葛飾の句で現在の景に即したものは半数に足らぬと言ってもよい。私は昔の葛飾の景を記憶の中からとり出し、それに美を感じて句を作ることが多いのである」。
 句集『葛飾』のあの瑞々しさ、情趣の豊かさ、絢爛さは、彼が幼年期から長い期間にわたって育て上げた美しいイメージが、時を得て咲き出たことによるものだと思われる。


   啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々  秋桜子

 秋桜子の代表句のひとつで感性豊かに詠まれて、俳句の近代化に一つの方向をもたらしたことは特筆おかねばならいと著者の山本健吉も書いていています。よく比較される高野素十の客観俳句と秋桜子の主観俳句ですが、私は主観俳句から客観俳句に転向しつつありますが揭句のような名句を読むと正直いって迷いも生じます。

by haikutarou | 2017-12-02 12:37 | 名句鑑賞

   谺して山時鳥ほしいまま   杉田久女

 「大正五,六年ごろから『ホトトギス』に投句を始めて、当時のホトトギス作家たる鬼城・蛇笏・石鼎・月舟・泊雲らと巻頭を競った。その前後してかな女・より江・みどり女・せん女・しづの女などの女流俳人が輩出した」

   
   足袋つぐやノラともならず教師妻   久女

 久女の句で私が好きな作品です。久女の作品からみて、かなりの男勝りの性格だっただろうと想像されますから、教師の妻として関東より遠く離れた北九州小倉に住まざるを得なかった境遇にかなりの苛立ちをもっていたのではないかと思われます。カタカナ書きした「ノラ」に、その複雑な想いを表現したかったのかもしれません。

by haikutarou | 2017-11-17 12:53 | 名句鑑賞


   青梅の臀うつくしくそろいひけり   室生犀星
 
 「犀星は詩人であり、小説家であり、随筆家であって、俳句はそれこそ余技としてたしなんでいるにすぎない。だが彼の俳句は専門俳人にない独特の面白さをもっている。
それは彼の詩や散文をも貫いている特異な感覚が、その素人くさい一見稚拙な表現の中に滲み透っているとことだ。
北陸の物寂びた城下町に育ち、東洋的な枯淡の境地に惹かれる傾向は生得の気質であろう」
「この句は彼の生物画である。『臀うつくしくそろひけり』と言って、青梅の艶々しいなめらかな感触を巧みに描き出している」

   鯛の骨たたみにひろふ夜寒かな   室生犀星
   うすぐもり都のすみれ咲きにけり

 いずれも見逃してしまいそうな小さな景に想像力たくましく写生俳句だと思う。
文筆家としてお互いに影響しあったであろう、芥川龍之介の俳句との質感の違いは著者山本健吉の解説どうりだと思う。

by haikutarou | 2017-10-19 11:27 | 名句鑑賞


   木がらしや目刺にのこる海のいろ   芥川龍之介


 「凩は彼の好んだ句材であったが、この句はやはり彼の愛好した言水の句『凩の果はありけり海の音』が意識下にあったのではないかと思う。もちろん感覚はずっと近代的で、鋭くなっている。凩の候は新目刺の出始めるころであり、鮮やかな目刺の膚の青さに、したたるような深い海の色を感じ取ったのである。句の形としては古典的なオーソドックスであるが、『目刺にのこる海のいろ』は鋭い把握である」
 「芥川龍之介が生涯に得た俳句の数は約六百句に余るという。だが彼がみずから『澄江堂句集』として残した句は七十七句にすぎない。精選された珠玉の小句集である点で、『芝不器男句集』とともに双璧である。彼の潔癖なな行き届いた神経をみることができる」

 揭句「木がらしや目刺にのこる海のいろ」は私が俳句を始めた頃から憧れの一句で、いつも頭の片隅に残っていると思う。
あれから7年経って少しは近づけているであろうか?
 何かで読んだことだが、芥川龍之介が俳句を学んだのは漱石や虚子であったが、漱石や虚子は眼中になく、ひたすら芭蕉を見ていたそうである。
そう言われると漱石や虚子には詠めそうにない芥川龍之介俳句だと納得した次第である。
写真は故郷、山口の海で、この句に出合うたびに、この青い海を思います。


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by haikutarou | 2017-10-11 09:00 | 名句鑑賞


    したゝかに水を打ちたる夕桜   久保田万太郎

 「『日暮里渡辺町に住みて』と前書きがある。『したゝかに』が万太郎調である。この言葉でこの句が生きている。もちろん地面に水を打ったのであって、桜の樹にではない。夕桜が影を落としている家の前の道路にたっぷりと打ち水をして、桜の花がいっそう清楚な感じを際立たせたのである」

 久保田万太郎俳句には前書きのついたものが多いのが特徴である。この前書きによって万太郎調が鮮やかに読者の前に広がっていくのだと思う。著者の山本健吉も日暮里渡辺町界隈を認識していたはずである。もしかしたら万太郎の自宅も知っていたかもしれない、そのうえでの、この深読みであろうか。

   

   さす傘も卯の花腐しもちおもり   久保田万太郎


 「この句は、『さす傘も持ち重り』という平凡きわまる言葉に、『卯の花腐し』という長い名詞を裁ち入れて、巧みに句に曲折を生ぜしめた。この言葉の語感からして長雨の感じがあり、長雨に伴うアンニュイは日本文学の伝統的な詩情である。そしてこの作者の俳句は湿度が高いのである」

 万太郎俳句が「湿度が高い」とは流石の名論であり、大きく頷きました。


 そして、万太郎俳句が本領発揮していくのは、戦後の世の中が徐々に安定してくなかでの生活詠であり私の好きな俳句が多くあります。


   日向ぼつこ日向がいやになりにけり   久保田万太郎

   セル着れば風なまめけりおのずから   


by haikutarou | 2017-10-06 08:09 | 名句鑑賞


水切りの小石届けり天の川     小谷一夫

海へ海へと流るる水よ曼殊沙華   野崎憲子  

二時間に一本のバス落し水     竹内宗一郎

大花野昨日の雨の匂ひして     児玉倫子

秋の蚊のかぼそき声に裏切られ   高田菲路

雲の峰阿蘇は火の山水の山     池田合志

笑うことありしか母の笑む遺影   宇都宮克之

by haikutarou | 2017-10-03 06:54 | 名句鑑賞


   雪解川名山けづる響きかな   前田普羅


「蛇笏の句を思わせるオーソドックスな格調を持った句。《名山けづる》とは気負った表現である。だが《響きかな》という座五が非常に力強い格調を持っているから、この誇張した大時代な表現も不自然ではない。」
 虚子門の四天王の一人という前田普羅に多くの人に知られた名句が少ないのは、著者によると「普羅には広く流布している句集ないことと、多数の門下をもつ主宰誌をもっていなかったからだが、それは彼の作品の評価に関係することではない。彼の句柄の高さから言えば、彼は蛇笏とともに現代俳句を代表すべき一人である」と。
多分そのためと思うが、山、特に日本アルプスを愛した私もこんなにも山の俳句を残している俳人がいたとは認識不足でした。だから本あれこれ言わずに乱読がいいと改めて思いました。


  春尽きて山みな甲斐に走りけり   前田普羅

茅枯れてみづがき山は蒼天に入る

浅間なる照り降りきびし田植笠   


by haikutarou | 2017-09-29 17:12 | 名句鑑賞

   

蔓踏んで一山の露動きけり   原 石鼎

「医師たらんとして失敗した石鼎は東京を去って深吉野に入り、そこで医を開業した兄の仕事を手伝って、一年あまり小川村に落着いた。山人の人情、深吉野の風物は、都会での生活に敗れた彼の心に深く触れるものがあった。そして当時の作句は虚子の手を経て『ホトトギス』に発表され、驚異の眼をもって俳壇に迎えられた」、このように、作者の経歴とか生活環境を知った上で作品を読むと、また一味違った味わいに満たされます。

 「蔓踏んで」の景は私も早朝の山麓散歩で度々体験しています。まるで雨の後のような一面の露が風か、野兎の悪戯か、ばさばさと音を立てて露が振り払われる。その時の心の動揺というか、驚きを「一山の露動きけり」と言い切ったところが作者の詩人たる技だと思います。17音に詠まれて「ああ、そうだった」と手を打って喜べる作品に出会えた至福感があります。

秋風や模様のちがふ皿二つ   原 石鼎

 「ここに不ぞろいな二枚の皿の模様に凝結した作者の憂愁と倦怠がある。皿の模様を通して、彼は己れの新鮮な感受性を再発見しているのである」、俳句は優れた選者がいて、それを読む読者がいる、作者もそれを信頼して更なる高みを目指しているのだととつくづく感じます。

 当時の俳句界は虚子を中心とした少数精鋭でお互いに意識し合い、切磋琢磨していた、すごい世界があったであろうことが著者山本健吉の目と言葉によって感じられます。冷やかし程度で読み始めた本書でしたが段々と熱ぽくなって来ました。

(大正から昭和初期の俳人たちの名句の裏側を覗いて見たいと思って、山本健吉著、現代俳句を読む)


by haikutarou | 2017-09-23 08:33 | 名句鑑賞