我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮れ   富田木歩


 「大正三年奉公時代のくとして『背負はれて名月拝す垣の外』があり、大正六年には、その生活の孤独な寂寥の影を帯びた句によって、特異な地位を占めている。時に二十一歳であるから、あたかも二十七歳の短命を予知したもののごとく、はなはだ早熟である」

 「揭句も大正六年作、『病臥』と前書きがある。母とともに弟を看病中、彼も病に倒れ、原因不明の異様な熱に苦しめられ、陰気な四畳半に枕を並べて寝た。彼の肺結核の最初の病症であったと思われる。蜘蛛のふるまいに何か不気味なものの影を見ていたようである」


   かけそくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花   富田木歩


 「大正七年、弟の利助を亡くした彼は、この年また妹まき子に死なれた。この句は、死に近い妹の咽喉の微かな喘ぎを看病しながら聴き取っていたのである。その仄かなはかない感じが、鳳仙花に通い合うのだ」

 私はこの句に初めて出合ったとき、富田木歩のこれ程の生活苦を知らなかったが、何か胸を強く締め上げられるような感覚を抱いたことを鮮明に覚えている。


by haikutarou | 2017-10-22 16:18 | 句集鑑賞


   船下りてすぐの大樹や秋の風   草深昌子


 「船下りてすぐの大樹」のフレーズが外国の港町か、離島の港といった景が何かドラマの一節のような旅愁が色々な余韻が広げます。季語の「秋の風」がよく効いて大木の下でほっと一息入れて船旅のときめきとその疲れを癒している様子がうかがえます。 桟橋に降り立った時、これから始まる未知の出会いは春には春の、夏には夏のときめきがありますが、やはり作者には哀愁めいた秋が一番似合いそうな気がして好きな俳句です。

 以前職場の同僚で酔っ払うと出て来る故里、和歌山の話しに閉口しながらも一度訪れてみたいなと思いながら結局その機会もなく彼は「お先に」と言いながら逝ってしまった。その彼の話の中に鑑賞句のような風景が出てきたような記憶があります。その彼が詠みそうな句にも思えてきました。何十年ぶりに帰りついた故郷の懐かしい風景に「ほっ」と一息ついた彼の姿を想像しています。


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by haikutarou | 2017-10-17 20:11 | 句集鑑賞


  秋の蟻手のおもてから手のうらへ  草深昌子          


 秋の蟻といえば冬の穴籠りに供えて一生懸命働くイメージがあります。晩秋のひと日、縁側か公園のベンチに座っていると何処から上ってきたのか一匹の蟻が掌にいます。しばらくなすがままの動きを観察しての一句です。俳句における即物具象の基本にあるものは「命」であり、それを見つめる作者の優しさです。大上段から構えて形の面白さを追いかけているだけではない作者の強い拘りのある一句だと思いました。


  盆の路ししとび橋といふところ  草深昌子

 季語【盆路」は数多くある「盆」関連の傍題のひとつです。先祖の御魂が通る路を草刈りなどをして帰りを待つという昔からの習慣です。この句の場合はもうひとつ現世の人が墓参のための路という意味もあります。というのも中七の「ししとび橋」という橋の名前、もしくは、その当たりの地名かも知れませんが、それが面白く読者の想像力をかき立てます。

 その昔猪の棲み処だった山奥を人間が川に橋をかけ、家を建てて棲みつきます。やがて墓地も出来ました。そして又長い年月が経ち、人間は暮しに便利な町に移っていき,祖先の御魂が通る盆路は草刈をし、道に転がる石塊を取り除かないと現世の年寄や子供は歩けないほどに荒れています。

 そんなことを想像しながら、私の田舎のことを思い、久々の墓参りをしたくなりました。


by haikutarou | 2017-09-26 20:11 | 句集鑑賞

いつかうに日の衰へぬ梨を剥く   草深昌子

 季語は「梨」で食の秋を代表する果実の先がけとして出回るのが梨です。上五から中七にかけての「いつかうに日の衰えぬ」というフレーズは残暑の一日の夕方のこと言いながら夏から秋への季節の流れを詠んでいます。それがちょうど梨が店頭に並ぶ時期なのです。こんなにも瑞々しい梨が食べられるのに、太陽は衰えることを知らぬかのように照り続けていると嘆いているのです。

 俳人は季節の先読みをしながら季節の移ろいを詠んでいきますから、実際の季節の移り変りののろのろさにイライラすることもあるような気がします。


by haikutarou | 2017-09-22 21:32 | 句集鑑賞

  七夕の傘を真っ赤にひらきけり   草深昌子

 「七夕の傘を真っ赤にひらきけり」、これは、「ええ?」と頭をかかえる難解な俳句ですが、作者の同人参加している「ににん」の代表、岩淵喜代子氏が名解説をしておられるので、それを引用してみます。
 「普通に言えば赤い傘を開いたという叙述なのだが、その赤いという形容詞を動詞的な使い方をしているのだ。そうしてこの作者が詠むと(傘を真つ赤にひらきけり)となる。まるで開くたびに様々な色に変化させられるかの如く。この巧みさは、七夕の季語斡旋からはじまっている。この季語によって、いよいよ傘の赤さが際立つのである。作者の文体と言える表現方法である」、流石に活動を供にされている俳人同士であり理解度が一味違います。俳句を読むとはこういうことなんですね。


by haikutarou | 2017-09-19 09:17 | 句集鑑賞

柿食うて書けば書くほど手暗がり  草深昌子

 作者は柿好きで知られる正岡子規の句集か評論を読みながら何かを書いています。しかし書けば書くほどに奥が深くなっていき、最初に書いた方の文章とつじつまが合わなくなってしまったのでしょうか。そこら辺を「書けば書くほど手暗がり」との表現になったであろうというのが私の解釈です。

 季語の「柿食うて」で多くを語らず表現させる手法は学びたいもので



子規の顔生きて一つや望の月  草深昌子

 季語は「望の月」で旧暦8月15日の満月を見上げながら、現代俳句の生の親として多くの俳人に現在でも大きな影響を与え続けている正岡子規のそこを「生きてひとつや」といっています。そして子規の肖像写真は少ないということとも掛けていて、あの横顔のもの一つしか知りません。

 上手い巧い表現で季語をよく利かせています。好きな一句です。


by haikutarou | 2017-09-15 11:02 | 句集鑑賞

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私のグログ「山麓」が空中分解してネットの藻屑と散ってしまいました。
その山麓に連載中だった「草深昌子句集「金剛」を読む」も中断していましたが先生からも継続して欲しいとの要望もありどこで続くか判りませんがここに改めて連載をすることとしました。
なにしろ先生の俳句は徹底した写生で無駄な言葉は一切使わないという読み解きの難しい作品ばかりで大変なのですがこれも鍛錬です。少しばかり残っているメモと記憶にある前作何編かの再掲から再開していきます。
その前に、草深昌子先生の経歴を簡単に紹介しておきます。

1943年、大阪に生まれる
1977年、飯田龍太主宰「雲母」入会
1985年、原裕主宰「鹿火屋」入会
1993年、第一句集「青葡萄」刊行
2000年、大峯あきら代表「晨」同人参加
     岩淵喜代子代表「ににん」同人参加
2003年、第二句集「邂逅」刊行
2016年、第三句集「金剛」刊行
現代、結社「青草」主宰、カルチャーセンター講師 


海桐の実鳶はきれいな声あげて  草深昌子

 季語は「海桐の実」で晩秋から初冬にかけて、いびつに膨らんだ殻が割れて中に朱色のきれいな実が現れます。朱色の実はねばねばの樹液のようなものを被って少々の事では飛ばされないようにしっかり殻に付いています。それは野鳥に食べてもらい遠くに運ばせる為の秘策のようです。正月前後には朱色の実はきれいに無くなり殻だけが残っています。その海桐の実が弾ける頃は空気は澄みきって、大空はまことに秀麗で一年で天気が一番安定する頃です。
 空には高みに輪を描くように鳶が飛んでいます。鳶も気持ちいいはずです。「ぴーひょろろ」の声がまことにきいれいに聞こえて作者の心に響いたのであろう。
 海桐の朱色の実と重ねあわせるようにして大空を見上げている光景が見えるようで、その気持ちの良さが読者にも響きます。

by haikutarou | 2017-09-13 17:46 | 句集鑑賞