カテゴリ:自句自解( 6 )

清川村吟行(その3)

吟行句会は即吟で投句しますから、後で推敲すると良い句になる可能性があります。見えた物を取って付けたような季語になり勝ちです。そこら辺を学習してみます。

耳を掻き背を掻く羅漢躑躅寺  園子
 合評でも指摘されていますが、下五の季語が決まれば大特選になる可能制もある作品だと私も思います。羅漢像の描写とはいえ、人の生活にも準ずる内容ですから、「時候」か「天文」が合いそうです。では今の季節から探ってみると「春の果て」「花曇」辺りなら一応落ち着きそうです。
 ホントに面白い内容ですから、もっと面白い季語がありそうですからじっくりと探って欲しいです。

しだれ桜誰に似たるや羅漢像  まさ一
 この句も季語が動きそうです。見えたもの何を持ってきても合いそうでホントに悩みます。この場合は「や」切れの季語を置くことで季語が強調されます。
 もう一つ、「誰に似たるや」が曖昧で作者の思いが弱くなります。「誰かに似てる」と限定した方が作者の思いが強まり、読者の余韻が広がります。
〈葉桜や誰かに似てる羅漢像〉葉桜の季節は人と人の出会いと別れの季節ですから読者自身の身にも置き換えて読んでもらえそうです。

酸模や皆で味見をしたりけり  虹子
 吟行の様子で楽しそうですが、これでは単なる報告です。俳句の基本は一人称ですから、楽しい舞台を自分用に仕立て直しが必要です。誰かの面白い仕草をちゃっかり戴いて自分のこと様に詠んでもいいし、誰かの仕草を面白可笑しく創作しても良し(誰かさんも笑えるようなもの)それが吟行の醍醐味だと思います。「酸模」は「すかんぽ」と平仮名書きのほうが良いのかも知れませんね。
〈すかんぽを噛んで酸つぱい味見かな〉

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by haikutarou | 2018-04-16 16:09 | 自句自解

清川村吟行(その2)

今回の吟行句会は新緑の美しさに触発されたかのように秀句多く選句して、どきどきとときめく程に楽しい句会だった。やはり句会は選句にうはうはどきどきしてこそ楽しめると再認識したしだいです。そこで5句ほど選び小生なり鑑賞させて頂きます。じつは私は当日は遅刻して、吟行には間に合わず、殆ど句会だけの参加でしたが、それぞれが写生俳句の達人たちで吟行に参加してなくても判る描写力は流石だと思います。

大岩を神とし祀る蝮蛇草    小径
一読して、日本武尊の大蛇退治のことを思いました。それほどに季語の「蝮蛇草」がつきすぎと思う位にぴたりとはまって、本日の最多得点句で私の特選でもありました。作者は他にも〈山門に鱗の紋や風光る〉があります。

山霞むかつて北条統べし村   国彦
作者は地元清川村の住人で、清川村をこよなく愛し、かつ地元の歴史にも研鑽されているのであろうことを思わせます。こんなにも山深い所まで小田原北条氏の遺跡のあること知り興味津々でした。 

春の雲動けば山の彩を変へ   波
当日は新緑の一番綺麗な頃で木々の種類のよって微妙に異なる新緑の色が変化を雲の流れで変化しているような錯覚を思わせる描写に読者をうならせます。

書を開き目を閉ず羅漢すみれ草 翠
羅漢像とすみれの取り合わせで、大きな羅漢像の細かいとこまでの描写が実際に見てない読者を納得させ、野地すみれの可愛さと何となく合っていて「すみれ草」は動かないと思います。

山吹や堰の水音烈しかり   結季
山吹の清楚さと烈しい流水が奏で合うハーモニーに魅了されました。ただ合評で指摘された文語文法の形容詞の「かり止め」は「かりけり」が正解ですが、これはベテラン俳人でもしばしば間違う項目らしく酌量の余地はあろうかと思います。私も使ったことはありません。
(明日はもう一日続きを更新します)

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by haikutarou | 2018-04-15 00:57 | 自句自解

清川村吟行

朝取りの籠に一枝の花蘇枋
ひそと咲く十二単や破れ祠
夏めくや休業中の雑貨店

 青草句会の連中と清川村役場周辺の吟行に出掛けました。まさに新緑の真っ盛りで黄緑から紅殻色までそれぞれの木々が斑点のような模様をつくり、カメラでぱちりではなく、キャンバスに色を塗りたくってみたくなるような風景でした。
 3月から花粉症で野外散策を控えていたので、晩春の光り眩しくてもうサングラスが必要なくらいでした。
 写真の花蘇枋は好きな花ですがもう花の終わりまぎわでピンクの色が薄くなっていました。珍しい野草も見つけました。十二単(じゅうにひとえ)です。子の野草は似た種類が多く、正確には一寸自信ありません。
 「夏めくや」の句は山野は百花繚乱の中バス停傍の雑貨屋さんが半休業の様な状態でした。昔は利用客の多い店だと記憶していたので自然との対比でその哀れさを表現したかったのです。

(花蘇枋(はなずおう)
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by haikutarou | 2018-04-13 22:51 | 自句自解

晩春2題

坂道を来る男衆陽炎へる
椅子揺らし短編読むや竹の秋

 遅い朝、市場に捕獲した魚を卸した終えた漁師たちが坂道を上り帰ってくる。どうやら今朝も豊漁だったようで皆がご機嫌である。
 「陽炎(かげろう)は春のよく晴れて日差しの強い日に遠くの風景がゆらいで見える現象をいいます。多分に感覚的な部分も大きく、そうなると一段と難しくなる季語です。
 もう一つ、良く似た春の季語に「蜃気楼(しんきろう)」があります。こちらはは光りの屈折で海上などに存在しない風景が見える現象いいます。こちらの方がもっと感覚的な感性が必要で小生の感性ではちょっと無理みたいです。
 「竹の秋」は竹の子に養分を取られ、笹の葉が黄色くなるとから、落葉樹の芽吹きと逆の生態となります。そんな変化を見逃さず、春の季語にした先人たちはすごいです。

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by haikutarou | 2018-04-11 09:20 | 自句自解

巣箱掛け

ハグをして幹の音聴く芽吹きかな
巣箱掛笑む少年の声変り

 巣箱の俳句を作っていて、中学校卒業前の三月に仲良し仲間で5,6個の巣箱を作り桜の木に掛けた。そして5年後に此処に集まろうと約束したことを思い出した。結局、誰からも声のかからずに約束は果たされることはなかった。
 学校の裏山は忠魂碑や防空壕跡の公園になっていて、昼寝したり、早弁しりと色々悪さをしたことが昨日のように思い出される。声変わりはとっくに終えていたと思うが定かでない。
 風の便りでは学校の統廃合でとっくに廃校になったらしいが、あの裏山はどうなったのだろうか。

(水木の花)
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by haikutarou | 2018-04-10 09:04 | 自句自解

下手な俳句

下手が良しといふは他人事花は葉に
茎立の大根にたかる蝶々かな

 俳句を極めた達人は口を揃えるように「俳句は下手が良し」と言う。かの芭蕉翁も「俳句はわらべにさせよ」と弟子たちに語っていたと伝えられている。
 では下手な俳句とはどんな俳句だろうか。例えば揭句の「茎立の」自作の句はどうだろうか。季重ねではあるが、かな止めで一応きちんと表記された写生句だが誰もが目にする景で新鮮味がない。だが選者は「下手な俳句だ」と言わない。「駄句」と言うか、無視で流すだろう。
 そう言えば句会で選者の「下手でいいね」という選評は聞いたことがない気がする。私が思うに「下手が良い」とか「下手に詠みたい」というのは俳句を極めた達人たちの憧れであり、希望なのではないかと思う。つまり俳句を始めた時のようなキラキラと輝いた俳句が詠みたいという裏返しではないかと思うのだ。
「釣りは鮒に始まり鮒で終わる」の例えのように何事にも初心に立ち返ることの必然解いているのだろう。

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by haikutarou | 2018-04-09 11:01 | 自句自解