日々の俳句

大室山(おおむろ)の襞は目立たず薬喰ひ
一升瓶抱き現はるる年賀かな
鴨群るる中の一対よく動き
咳込めば野面揺らすは何ものぞ

早くも日当たりの良い山麓では金縷梅(まんさく)が咲き始めます。金縷梅の語源は山麓で先駆けて咲くから「まずさく」がなまって「まんさく」となったそうです。花弁の数の多いことから農作業に縁起の良い花としても知られています。
さて、俳句が出来ない、俳句を作ろうという気が起こらないという話しをよく耳にします。私の場合も宿題の句作にどこから取り懸かるか途方にくれてしまうことはよくあります。そんな時活用するのが、句帳やメモ帳に残した言葉の切れ端や未完成のもの、これでは句会に出せないというような駄句をパソコンに取り込んでそれを何とか俳句にしてやろうと添削というか推敲を始めます。使える俳句になる可能性は低いかも知れませんが頭の中を俳句思考にはしてくれます。メモ帳の言葉に閃いて思わぬ大物をものにすることも少なくありません。これはと思った言葉は金の卵と思い大切にしたいですね。

(金縷梅(まんさく))
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by haikutarou | 2018-01-31 16:07 | 「西瓜の種」(自作句集)

春待つや頼みの綱の兜太選     内田恒生
激戦のむすめふさほせ歌留多取り  一寸木詩郷
凩に耐へし冬薔薇剪らず置く    竹田賢治
白鳥の白より白き伯耆富士     田中由紀子
高々と光求めて凧         柿坂伸子
まつすぐに伸びたる紐の放つ独楽  山下しげ人
月と日と向ひあひたる枯野かな   杉山一三
日向ぼこ母と昔に戻りけり     松尾信太郎

選者の金子兜太先生の早い復帰を願う句が多数投稿されているとの選評が書かれていました。私も同じ気持ちで、好きな句の1位としました。

(山茱萸の蕾)
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by haikutarou | 2018-01-30 10:43 | 朝日俳壇

春を待つ

咳込めば野面揺らすは何者ぞ
この里や終の住処と春を待つ
早梅や読経漏れ来る大伽藍
堰落つる水に雪解の濁りあり

この歳になり、最後をいかに迎えるか、生涯一番の大仕事のような気がしている。だからといって、こればかりは自分の力でどうにかなるものでも無さそうである。私が59歳のときに、田舎に長い間ひとり暮らしをさせていた母に余命半年という喉頭癌が宣告された。父を早くに亡くして、幼子四人を育てあげた母の苦労を知っているだけに一人暮らしをさせているという負い目が常にあったから、母の余命宣告は私を狼狽させた。当時会社では早期退職制度あり、その制度で会社を退職して田舎で母と残りの期間を暮らす決断した。母の生まれ故郷や親戚の墓参りし、手料理の味付けを教えてらったりしながら、結構充実した日々だったことが、ある日突然の母の訃報でなかった幸運を噛みしめたものだ。それでも今も思う「お母さん、あなたの一生は何だったのでしょうか」と

(寒緋桜)
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by haikutarou | 2018-01-29 13:35 | 「西瓜の種」(自作句集)

寒波来る

閂のかくんと抜けて寒波来る
悴んで押しくら饅頭見てゐたり
毛帽子の君をねらうや雪まろげ
山裾に轍の伸ぶるや春の雪

(新聞、雑誌投稿で遊ぶ)
現在は句会活動しながら、新聞や俳句雑誌に投稿しながら遊んでいます。もしかしたら『特選』かもという、このどきどき感がたまらなく楽しいのです。最初の頃の3年くらいは「何でこの句が特選で自分の句が佳作なんだ」とにいらついていたと思います。そして次第に「そんなに大差はない、いつか自分も」と特選句の良さを認めるようになっていました。さらに私の俳句力が上ったのか、俳句の何たるかの本質が判ってきたのか、特選句の常連たちとの格差をひしひしと感じるようになった昨今です。
俳諧味や格調高い表現力、ものを見る眼の確かさ、透視力(想像力)、斬新さの何かが選者に閃いての特選句だと納得させられています。ここまできてやっと気づいたのが「俳句とて芸術だ」ということです。そうなんです、絵画や彫刻と同じようにほんの少しの感性の差が作品となった時に大きな差となって現れ、凡夫には踏み込めない領域あることを悟って、やっと「自分の感性の範囲で楽しめばいいんだ、それだって立派な創作だ」と自分を褒めてやるすべを学びました。それでも「もしかしたら」という楽しみは捨てられません。

(冠雪の東丹沢の山々)
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by haikutarou | 2018-01-26 17:34 | 「西瓜の種」(自作句集)

春の雪

寒禽の声の突きさす日向かな
守護神は阿夫利山なり寒夕焼
大寒の長谷の大仏風よけに
水際の砂の白さや日脚伸ぶ
川の瀬の鷺の大股春の雪

(取り合わせ俳句)
「見たままを素直に詠めばいいんだよ」、「そうそう、それだよ」といわれても何かすっきりしないものが気持ちの片隅に残っていたのです。
自分で一皮むけたかなと実感しだしたきっかけは二句一章の取り合わせ俳句を覚えてからでした。やっと詩を詠んでいるという気持ちになれたのです。
でもそれもまた茨の道でした。「ツキすぎ」「離れすぎ」「陳腐だ」と言われながらも自分的には俳句を作っているという充実感はありました。
もう一つ、取り合せ俳句で変わったのは、読者を意識して詠み、推敲するようになったことでした。それまで色々言われても何が何だか訳の判らなかったことが氷が溶けるような感じで身に付いていくのが自覚していました。

凍りつくピラカンサの実
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by haikutarou | 2018-01-24 16:57 | 「西瓜の種」(自作句集)

「1月15日」
羽ばたきて白鳥湖のほむらなす  矢崎義人
たなごころ卵ひとつの淑気かな  阿知波裕子
見返せばすべて善きこと日記果つ 酒井湧水
初暦ひとりの部屋の改まる    片井久子

「1月22日」
太陽のやうな子が居て初笑    横田青天子
少女にも武道家の猊初稽古    中塚元三
初夢の父は歩いてをりにけり   山崎貴子
解体の鮪の首立てられるる    守安雄介
餅花の影にも色のあるごとし   多田羅初美
編み棒の交差に愛や毛糸編む   小松一夫
同じこと母もしてゐし大根煮る  丹羽ひろ子

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by haikutarou | 2018-01-23 18:12 | 朝日俳壇

寒椿

寒椿黒髪に挿し恋知らず
あの辺り白鳥の湖寒霞
寒木瓜の一輪咲いて幹白き
福耳もすつぽりかくす毛糸帽

私が俳句もどきを始めたのは平成9年でした。写真に「575」の俳句もどきを書き込む「写真俳句」でブログに投稿して自画自賛で楽しんでいました。その内にインターネットを通して写真俳句の仲間も出来て合同展も開催するようになりました。写真の方は長くやっていましたから少しは自信がありましたが、他の人の人気作品を見る度に俳句に対して向上心が芽生えて来ました。
近所の句会に通い、結社にも入会しましたが、私のそれまでを全否定されるように徹底的に叩かれました。技の向上というより、自己否定されているようで落ち込みの日々でしたが、句会を通しての仲間との交流が楽しかったことと、文芸という部門が好きで強い興味もあり俳句を辞めるという選択肢はありませんでした。
言葉関連の辞書や、俳句関連の上達本も買いあさりました。当時は読んでも理解できないことばかりででしたが何とか上達の秘訣はないかと必死でした(続く)

(下田公園に咲いていた寒椿)
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by haikutarou | 2018-01-20 14:01 | 「西瓜の種」(自作句集)

日脚伸ぶ

サイホンに映す遠嶺や枯木宿
青海苔をちらす大皿霰餅
触れてみよ砕けそうなる寒薔薇
日脚伸ぶただそれだけの嬉しさよ

この時期に日記帳をめくると、どの年も全豪オープンテニスで錦織圭選手の勝った、負けたで一喜一憂しているが、今年は、その圭選手が手首の負傷治療で昨年後半から全試合を欠場していて気の抜けたような寂びしがある。スポーツ選手が負傷した部位を完全に治すために長期間欠場することは勇気のいることに違いない。
大相撲の横綱稀勢の里が出場を心待ちにしているファンの声援に負けて不完全な体調で出場しては不様な負け様さらしているのはプロ根性に欠けると言われても仕方あるまい。

晩秋から花の少ない時期を楽しませてくれた山茶花
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by haikutarou | 2018-01-18 21:05 | 「西瓜の種」(自作句集)

猟宿

水神の湖は荒れ気味藪柑子
優しげな目元一変猟夫なる
冬泉に魂おきしまま去りにけり
寒晴や嘴たたくフラミンゴ
若水や餅の数問ふ母の声

以前に厚木市と南足柄市の境目の辺りに5年間住んでいました。その近くでよく通ったのが金太郎の生地といわれる金太郎の里でした。ちょうど俳句を始めた頃で俳号をとわれて、一寸おこがましいかと思ったが、先のことも考えずエイヤーで『金太郎』に決めた。やがて俳句結社の会員となり「俳人らしい俳号に変えたら」と言う人もいたが覚え易さが先立って何となく変えるに変えられなくなりそのまま現在に至って、俳号もインターネットのニックネームずべて金太郎を通しているから、もう自分の分身のような感じになっていて本名と間違えてしまうほです。
その金太郎の里に一軒の猟宿があり、猟期となる冬は愛好家たちでほどほどに賑わっています。庭には赤身付いた獣皮が干され、猟犬に与えた骨が転がっています。俳句ネタもころころと転がっていて毎年のように吟行に行っています。

猪の皮
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by haikutarou | 2018-01-17 10:53 | 「西瓜の種」(自作句集)

どんど焼

左義長や晴着行き交ふ垣の外
稽古着の子ら押しかけるどんどかな
喜寿の人煙まみれにどんど焼
双耳峰奥が主峰とどんどの火

老人ばかりが目立つ昨今ですが、どんど焼のような子供が主役の行事が復活しつつあるのは目頭が熱くなる思いがします。
まさに子供は宝です。そうえばあまり耳にしなくなった「子供は宝」という言葉が地域の中であまり聞かれなくなったのは寂しいことです。私たちが子供の頃は地域の大人たちからも頻繁に聞かされ、男の子は乱暴なくらいに可愛がって貰ったものです。「いい加減にしてよ」と逃げ回っていたほどでした。

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by haikutarou | 2018-01-15 16:30 | 「西瓜の種」(自作句集)