大鷺(ダイサギ)

大鷺や三月尽に首伸ばす
フリスビー飛び交うふ原の蛇苺
悠々と二羽を従えへ残る鴨
大仰に歩く人ゐて春深し

 大鷺(ダイサギ)は脚が長くてゆっくり浅瀬を歩く姿は格好いいです。いつ見て一羽でで孤高の鳥でホントに憧れてしまいます。今朝の散歩で急に首を伸ばして私と目が合いました。こんなとは初めてで、いつもは無視されて見向きもしないのにどうしたんだろうと気になったりします。そろそろ北へ帰る頃だなあーと思ったりしたのかも知れません。

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by haikutarou | 2018-03-31 17:29 | 「西瓜の種」(自作句集) | Comments(0)

すかんぽ

連翹や庵に人なく風絶へず
音立てて椿の落つる長屋門
春暁の大鷺首を伸ばしたる
菜の花に酔うて蝶々白昼夢

 月末の雑誌等への投稿を済ませてほっとしています。
3月一ヶ月間に詠んだ俳句の数は124句でした。その中から10句余りを自選するのですが、相変わらずこれはという秀句の少なさにがっくりと肩を落とします。やはり詠んだ当初は「うーん、よい句だ」と自画自讃する訳ですがこうして、まとめて読みみ直してみると感動が伝わらりません。
 〈すかんぽの伸び代試す如くかな〉
 吾が伸び代はどうなんでしょうか?改めて俳句は難しいです。

(すかんぽ)
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by haikutarou | 2018-03-30 17:07 | 「西瓜の種」(自作句集) | Comments(0)

阿蘇遠く浮雲近し麦を踏む      今村榾火
日輪になほも近づく奴凧       青山勇二
墳丘の菜の花蝶と化しにけり     あらゐひとし
雛納めわが納棺のふと過る      友藤八重子
春水を待ちゐし鯉や直進す      内藤 孝
園丁のしばらく落花任せてふ     石田わたる
さみどりは未来ある色梅ふふむ    高橋純子
風車つまらなさうに止まりけり    日原正彦
晴れといふだけで春愁ふつとびぬ   田中由紀子
でたらめな口笛がゆく春あした    中村小城南
野の光まとひつつ蝶生まれけり    坂田美代子
未黒野にしてしまひたる草千里    井芹眞一郎

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by haikutarou | 2018-03-26 19:32 | 朝日俳壇 | Comments(0)

春の宵

古刹とは風さへゆかし鴨足草
洋館を取り囲みたる諸葛菜
連翹や庵に人なく杖二本
風の鳴る音の切なき春の宵

 次々と花が咲き始め、木々が芽吹いていく様子は子供心にも心和み、絵に描いたり、作文に書いたりするのが好きだった。でも日が暮れて肌寒くなる春の宵は好きではなかった。「春の宵」という兼題で俳句を詠もうとすると、先ず浮かんで来るのは子供の頃の風景なのです。ことに最近はその傾向が強くなっていく気します。昨日のこともすっかり忘れているというのに不可解です。

(鴨足草(ゆきのした)の花)
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by haikutarou | 2018-03-25 23:15 | 「西瓜の種」(自作句集) | Comments(0)

櫻、桜、さくら

うしろ手に覗き込んだる初桜
生臭き芽吹き山にも初桜
門いくつもくぐる城址の桜かな
校舎にはピアノの乱打花吹雪く

「さまざまの事思ひ出す桜かな」と詠んだのは芭蕉ですが、そうだなあと関心しきってしまっては「桜」の俳句は詠めなくなってしまいます。 俳人は手を変え、科を変え読み続けています。歳時記の例句で一番多いのが「桜」で「花」も含める他を圧倒しています。それでも同じ作品がないことに驚きます。日本語の豊かさの一例だと思います。
 ということで、私も飽きもせずに今年も駄句を並べました。


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by haikutarou | 2018-03-24 13:52 | 「西瓜の種」(自作句集) | Comments(0)

春田打ち

 私の実家は半農半漁で子供頃は手伝いをさせられていたので、農作業には結構思い入れがあります。畦道を散歩していて、作業をしている人に話しかけたりします。話しして感じるのは、祖先からの大事な土地を荒らしてしまうのが辛そうです。
 「先はどうなるかわからないけど、せめて自分が元気なうちはと思い頑張っています」と言います。その気持ちとてもよく判ります。その人が祖父とダブって申し訳なさでいっぱいになります。
 現在の日本を見ていると戦後からの急激な近代化と経済成長が本当に正解だっのかとか思ったりしています。ちなみに私の実家は『日本棚田100選』の長門市油谷の棚田といわれている所です。日本海に沈む夕焼と棚田の取り合わせでカメラマンに人気だそうです。

トラックターの二台三台辛夷咲く
春田打畔に弁当掛けてあり
点在の農夫老いけり鳥曇
頂きは雲の流れて峰さくら

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by haikutarou | 2018-03-22 21:54 | 句集「山麓」 | Comments(0)

桃の花

湖尻にはホテル一軒桃の花
春霞塩田平の仏たち
山下る里は杏の花盛り
朝練の声の太さや冴返る

 「俳句を読む」とはどういうことだろうか。この事を理解してくると句作の内容が大きく違ってくる気がします。
 小説や長編詩、俳句に一番近い短歌でも作者は自分の表現をいかに読者に理解してもらいたいかに力を注ぎます。だから作品の評価は作者の力量が全てです。
 ところが俳句は作品に直接に表現されてない部分を読み解いて楽しむ文芸なのです。簡単にいうと作者と読者の共同作業でその作品の評価が決まります。過去の作品が名句として現在に残っているのは優れた読者(選者)がいて明快に読み解いた結果なのです。
 判ったようで判りずらいかも知れませんが、長くなるので結論をいいますと、読者(選者)を喜ばす俳句とは読者(選者)に余韻という読み代があり、その余韻が大きいほど名句として評価されます。
 〈友情よアスパラガスに塩少々  田中美子〉
 さてこの俳句はどうでしょうか?友情とアスパラバスは全然関係ないと思いますがここに「塩少々」が加わることで何か面白いい風景が見えてきませんか?これが余韻です。

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by haikutarou | 2018-03-21 21:51 | 「西瓜の種」(自作句集) | Comments(0)

蝶の昼

啓蟄や母の遺品の虫眼鏡
いつになく喋りすぎたる蝶の昼
川多き町の格子戸鴨帰る
これ以上老いてどうなる春北斗

 まだ若かった頃、定年退職した先輩が時々職場に顔を出して、釣りやゴルフ三昧の楽しげな余生を私たち語って聞かせるのだが、ちらちらと見せる寂しげというか不安げな表情が何となく気になったが、仕事を理由に追い立てるように帰した。
 あの時の帰って行く先輩の後ろ姿が忘れられない。それが何だったのか、今なら判る、どんなに元気で趣味に没頭していても、ふと現実に戻ったときの老いていく不安、寂しさはその時にならないと判らないものである。
 先輩に可愛がられ、指導してもらったお陰だったのにと今更ながら頭を垂れるが、これは順繰りであり、誰もが通る宿命であろう。

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by haikutarou | 2018-03-20 20:39 | 「西瓜の種」(自作句集) | Comments(0)

兜太逝く狼の群引き連れて      奥村喜代子
白梅に我が慟哭や兜太逝く      斉木直哉
引鶴や現れ出でよ新選者       川野一広
水にこゑありひかりあり蝶生るる   坂田美代子
梅真白母校の授業参観す       野崎 薫
よき仕事あるからこその朝寝かな   富岡信明
木の芽吹く森のささやき始まりし   信清愛子
春めくといふ恙の癒ゆるに似     寺川芙由

(馬酔木の花)
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by haikutarou | 2018-03-19 14:05 | 朝日俳壇 | Comments(0)

辛夷の花

辛夷とは人想ふ花老いの恋
恋猫のぶつかり来るや行かせろと
この里の民で七十路すみれ咲く
茅花抜くセピヤ色なる少女かな

辛夷の花が咲くと農家が春の野良仕事を始める目安にしている所も多いようですが、私もこの花の清楚がすきで、咲くのを心待ちしている早春の花の一つです。
 今朝のNHKラジオの「真打ち競演」でケーシー高峰さんの漫談に笑いました。どこまでが真意なのかわからいところもありますが、「素敵なものを見てときめくという本能がなくなると痴呆の始まりだと思え」というようなことをネタにしていましたが、これは本当のことだと笑いながらも聞いていました。
 何時までも素敵な女性に出会うとときめき、思い出の花に出会えばときめきたいと思うこの頃です。

(辛夷の花)
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by haikutarou | 2018-03-17 11:34 | 「西瓜の種」(自作句集) | Comments(0)