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柊(ひいらぎ)の花

 柊は種類が多く、クリスマスに人気の赤い実の柊はアメリカヒイラギ(セイヨウヒイラギ)です。
我が国固有種の柊は丁度、今頃、真白い花を葉裏に隠れるように咲かせます。あまり強くはないが、上品な香気を風に乗せて「私はここよ」教えてくれます。若い木は葉っぱの棘が鋭く、老木には棘は殆どなくなります。古くから「柊鰯(ひいらぎいわし)」として魔除けの風習が土佐日記(935年頃)にも登場しているようです。

(今日の俳句は再掲です)


「柊」と書いて「ひいらぎ」、「椿」書いて「つばき」、「榎」と書いて「えのき」で夏の季語、ここまでは知っていましたが、「楸」と書いて「ひさぎ」でトウザイクサ科の落葉高木だそうで私も見たことはありませんが、歳時記には初秋に紅葉するので秋の季語とされています。

歳時記によっては「キササゲ」としているものあるようですが、別名ではなくノウゼンカズラ科の別種のようです。

*「柊鰯」~柊の棘と鰯の頭の臭いで悪魔を追い払い新しい年を迎えるという節分の魔除けの風習です。


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by haikutarou | 2018-12-18 09:17 | 生き物物語 | Comments(0)

清川村吟行句会

一昨日(12月14日)は神奈川県唯一の村役場にお邪魔しての周辺の吟行と句会でした。清川村といえば宮ヶ瀬ダム湖で知られ、当初ダム湖サイトにある樅の大木に設えたクリスマスツリーが「日本一のっぽのクリスマスツリー」で一躍名をはせました。現在でもイルミネーションぎらぎらで若者達で賑わっているようですが、私たち俳人は山眠る里山の静かな佇まいを歩きました。

(今日の俳句は句会での投句を一晩寝かして推敲したものです)

私はどうも即吟が苦手のようです。感じ方が燃え上がり過ぎて短時間でまとめきれないようです。


「俳句が打座即刻の詩であるならば俳人は感動を素早く冷やす能力に秀でていなければならない 池田澄子」

『俳句開眼100の名言』ひらのこぼ著より

初心者からそろそろ、一皮剥けたいと思って居られる方は俳句の達人たちの実感、名言が手助けになりそうです。


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by haikutarou | 2018-12-16 09:21 | たかが俳句されど俳句 | Comments(0)

青い空

この時期になると、我が家の居間の正面から朝日が昇ります。正月の初日の出はまさに真正面に拝むことができます。方向的には江ノ島から横須賀辺りでしょうか。冬の澄みきった日にスカイツリーが展望できます。

今朝の朝日朝刊の天声人語は『青空を求めた50年』というタイトルで大坂の西淀川公害訴訟史を書いていました。当時、タクシー運転手だった森脇君雄さんは昼間でも前照灯をつけて走っていたそうです。そういえば、東京の空も年末年始の連休のときは明るく展望が効いて双眼鏡を覗きながら興奮したものです。それが、いつしか平日も違和感がなくなって居たのは、森脇さんたちの公害と闘う日々があっての成果なのですね。


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by haikutarou | 2018-12-14 08:00 | 日日闊達に(日記) | Comments(0)

鴨と翡翠

 一昨日、いつもの川土手を歩いて鴨と翡翠が仲良く(?)餌を漁っている光景に出くわしました。5,6羽の鴨が川底に嘴を差し込んで食事中でした。そこに水面にせり出した小枝に翡翠(かわせみ)来て、あのダイビングを始めたのです。何度もトライして3度に一度位は小魚をゲットしています。私の想像ですが鴨たちが掻きまわした水底の小魚が驚いて逃げ出すのを翡翠が狙っていたのだと思います。初めて目にした鴨と翡翠の共存でした。

 野鳥撮影には超望遠レンズと三脚が必要なのは判っていましたが、手持ちの300mレンズで撮りましたが、やはり写真になっていませんでした。

 野鳥撮影は待つという忍耐力と一瞬のチャンスを写し止める集中力が必要で私にはとても真似の出来ない憧れの被写体で、邪魔をしないようにそっと通り過ぎて行きます。



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by haikutarou | 2018-12-12 10:08 | 日日闊達に(日記) | Comments(2)

焚火

 焚火で身体を暖めるのが心地よい季節になってきました。
焚火の煙が風のって来る匂いを嗅ぎ付けるとそれに引きつけられるように寄っていきます。

〈名は知らず顔はなじみの焚火かな  金太郎〉
私の初学の頃の迷句です。俳句というより川柳に近い気もしますが、当時は名句だと自画自讃していました。


ところで俳句と川柳の違いは判りますか?
私もきちんと解釈出来きませんが、万人に内容が理解できて「うんうん」と頷けるのが川柳だそうです。
ということは、俳句は万人に理解出来なくても俳句を極めた人が理解出来ればよいことになりそうですが、でも私は俳句を知らない人が10人居たとして、2,3人くらいは日本人の魂として、その詩情を自分に置き換えて理解して貰える俳句を詠みたいと思っています。
うーん、ここら辺が霞のように見える様で見ないのが俳句の奥深さなのか正直いってよく判りません(結局逃げです)


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by haikutarou | 2018-12-10 10:04 | たかが俳句されど俳句 | Comments(2)

夜長と俳句

段々と寒さのつのる夜長を恙なくお過ごしでしょうかと、山向こうに呼びかけても虚しく風の音ばかりです・・・

私も季節の変わり目の日々が身にしむ齢になってきたようです。一昨日の] 前日との温度差がなんと10度だったとか、老いの身には応えます。

私は俳句を始めたのが60歳過ぎでしたから、晩学俳句はいささか荷が重すぎたのか、寝る間を惜しん励みましたが肝心な所が一向に身に付かない、夜が長いと感じたことなかったですね。

俳句は本当に奥が深く、これでかこれでもかの連続でやっと基礎をマスターできたかなと思った時に、「ふとここいらでいいか」という気持ちが芽生えて来ました。最近は変わりゆく日々の想いを素直に詠めればそれ楽しいという心境になってきました。そしてもう一つ俳句の楽しみは俳句作家の名句に感銘しながら辿っていくことです。本音をいうと此方の方がよほど楽しいです。



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by haikutarou | 2018-12-08 10:39 | 日日闊達に(日記) | Comments(0)

潮騒とアロエ

 しばらく潮騒を聞いてないなあと思うと無性に海を見たくなり電車に飛び乗り伊豆に向かいます。伊豆半島を自力で歩くには一寸広すぎて、車があればいいなと思いますが免許証を返上しているのでレンタカーも仕えず諦めて歩きますがやはり伊豆は車が必要で妹が車を手離さないが納得させられます。

この時期に伊豆の海岸沿いを歩くとアロエの朱色の花が目に付きます。アロエは外来種ですが人間が我が国に持ち込んだものでなく、海流によって列島の南岸運ばれそれが野生化した珍しい植物なのです。歳時記によっては季語として採用してないものもありますが冬の季語と定着しつつあります。


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by haikutarou | 2018-12-06 09:53 | 日日闊達に(日記) | Comments(2)

見事な冬紅葉

 一昨日の道了尊で見応えある紅葉を見る事が出来ました。それは、石段を登って来た人誰もが思わず「おお」とか「わあ」と声を発するほどの真っ赤に燃え盛る見事さでした。(画像参照)

私は全国の紅葉、黄葉風景を見てきましたが一本の木の紅葉としては最高級レベルだと思う位に感動が心に染みわたりました。

これまで忘れる事の出来ない紅葉(黄葉)として、尾瀬沼周辺の草紅葉、穂高連峰の登山口の涸沢のナナカマドの紅葉、青森の酸ヶ湯温泉周辺の黄葉も感動でした。

強烈な感動した時は一旦体中が硬直した感じになり、そしてじわじわと緩んで体がその風景の中に溶け込んでいく感覚になります。言葉となるのは更にその後のような気がします。

(俳句では立冬以降の紅葉を「冬紅葉」として冬の季語としています)


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by haikutarou | 2018-12-04 11:06 | 日日闊達に(日記) | Comments(2)

道了尊

昨日は句会担当と南足柄大雄山最乗寺に吟行句会下見でした。

紅葉の最後、まさに燃え尽きようとしているところで一山の凛とした雰囲気に身の引き締まる思いで石段を登りました。

地元では道了尊という名称で親しまれているようでバス停表示は道了尊になっており、大小併せた仏閣が30はありそうでまさしく一山という感じで圧倒されます。

その一山を包み込むような凛とした空気感が四季折々の佇まい見せてくれ好きな処で何度か来ていますが信仰心の無い身にも何かを感じさせてくれます。この一山の守り神が大天狗さまであちこちに天狗が現れ、天狗蕎麦を食べ、下駄饅頭を土産に道了尊を後にしました。


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by haikutarou | 2018-12-02 09:48 | 日日闊達に(日記) | Comments(0)