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と、ある吟行で

その日の吟行地で仲良しの句友さんが「金太郎さんに是非に案内したい所が在るから生きましょう」と案内された横浜街中の小さな公園の片隅に一寸場違いな感じの水琴窟が何とも涼しげな音を出していた。

私たちは覗き込むようにして何度も耳を傾けた。


句会では隅の方で余り目立たない人だが、吹き抜けるビル風に帽子を飛ばされないように防御する様子がとても活き活きとして魅力的だった。


そして私たちは、側のベンチに座って俳句の話をした。


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by haikutarou | 2019-08-31 07:00 | 自句自解 | Comments(4)

ふと肌寒さを感じてちらっと夏も悪くないと思ったりしています。

この時期は気圧配置が不安定で野分(のわき)の気節でもあります。


俳句では野を分け、草木を吹き分ける荒々しい風を野分といいます。

台風の吹き荒れるようすが枕草子に記され、源氏物語の第二十八帖の巻名にもなっているように古い時代には台風のことを野分と呼んでいました。


『野分のまたの日こそいみじうあわれにをかしけれ 清少納言』枕草子より

(野分の吹き荒れた翌日は、大変にしみじみと胸に来るものあります)という訳で

枕草子の時代にも台風のあとは爽やかさを感じていたようです。


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by haikutarou | 2019-08-29 07:00 | 七十二候 | Comments(0)

相模湾の夜明け

神奈川県秦野市のヤビツ峠に車を駐車して丹沢山塊の主峰「塔ノ岳」の縦走をピストンするためには正味走行時間8時間、休憩を入れると有に10時間を越える健脚コースです。

一の塔、ニの塔、三の塔まで来ると展望が開けて、歩き始めは懐中電気を使っていた空が明け始めます。ちょうど江の島から三浦半島の湘南の海の日の出です。


このコースで一番の展望はやはり塔ノ岳山頂からの新宿の都庁を中心にした関八州(現在の関東6県)の夜景です。山頂小屋の名物カレーを食べながら夜景を堪能したものです。(写真が残ってなくて残念)

そして2番目が写真の三の塔からの相模湾の夜明けでした。


確か69歳の時だった、ヤビツから搭ノ岳へ行きはすごく快調でした、昼食をして一休みの後に「さあ、帰ろう」と立ち上がった時に。足腰はしっかりしてなんら異常は無いのだが、気力が萎えてしまって来た道を戻れないのです。


結局、最短の下りコースで下山して、息子に連絡して迎えとヤビツ峠の車の回収お願いした。

登山で息子たちに直接の迷惑は初めてでしたが、二度とやってはならないことと強く反省して、これが事実上の最後の単独登山となりました。


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by haikutarou | 2019-08-27 07:00 | 自句自解 | Comments(0)

萩とシャンソン

私は歌といえば超昭和演歌の「北の宿」とか「天城越え」ですが、例外がひとつだけあります。

それはシャンソン歌手別符葉子さんです。彼女は関西を中心に活躍中ですが、年に一度だけ東京でコンサートを開催されています。


もう7,8年に前になるだろうか、当時ブログで自分のシャンソンを売り込んでいる別符さんにブログで出会いました。

若い頃に本場パリで修行された本格派で苦労話も本場仕込みの歌も、ブログを訪問する度に聞かされ、その歌声の素晴らしさに惚れ込みました。

もちろん東京コンサートには必ず出掛けて、握手してもらいひとり舞い上がっていました。


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by haikutarou | 2019-08-25 07:00 | 自句自解 | Comments(2)

私は子供頃、祖母の手伝いで綿摘みをした記憶があります。実が割れると中の真っ白い綿を取り出すのですが、殻が堅くて子供には難しく嫌いな作業でした。

綿の実が布団の綿になるまでには大変な作業でしたから母の代には綿の栽培は見掛けなくなっていました。


その頃、天気が秋らしくなってくると、男の子の遊びは磯釣りに集中します。

月明かりで釣る、鱸(すずき)、鯔(ぼら)は大味で食用としては余り喜ばれませんでしたが、大型魚でしたから釣りとしては子供を夢中にしていました。


釣りで喜ばれた魚は「かさご」で、刺だらけの不格好な魚ですがぶつ切りに

して味噌汁での味は母が最高と喜んで食べていました。

田舎では子供が遊びがてらの穴釣り魚でしたが、現在でも魚網等で大量に採れないから高級魚らしいです。


(追加)カサゴの呼び名で面白いのがありましたら紹介お願いします。


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by haikutarou | 2019-08-23 07:00 | 七十二候 | Comments(4)

秋の蝶

秋の蝶はせわしげである。

やがて寒い冬がきて、花も全て枯れてしまうから頑張って蜜を集めなくてはとでも思っているようである。

昆虫たちのあの小さな体に遺伝子として季節感が伝承されているのだろうかと私はしばらくその動きを目で追い掛ける。

私も近い将来死期が来るはずである。それはとても辛いことだと思う。でもこの蝶たちを見ていると果てるその時まで必死に生き抜きたいと思う。


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by haikutarou | 2019-08-21 07:11 | 自句自解 | Comments(2)

昼と夜の気温差から深い霧が原野に立ちこめる頃です。春にも同じ自然現象が起こります。物理的なこの違いはよく判りませんが、俳句の季語でいえば「春は霞」「秋は霧」と使い分けています。テレビやラジオの気象予報士も大体これに合わせているように思います。


昨今の地球温暖化で春の訪れは早く、秋は残暑が長いという現象はどうでしょうか?統計的にどうだか判りませんが、その年の気圧配置に大きく左右されているというのが実態で、例年並みに初秋の気圧配置で云々という、「例年並」という気象予報士の言葉も段々と死語に近くなりつつあると思いませんか。


実際にそろそろ咲く頃だと出掛けますが目当ての花が咲いていなかったり、すでに散り際だったりする場面に遭遇する事が多くなり、私の作成している草花開花暦も役に立たなくなっているのが実情です。


往年の名カメラマン秋山庄太郎さんの言葉に「女性と花は美しく写さねばならない、それがカメラマンの使命です」があり、それを実践した大御所でした。私も共感して頑なに守ってきましたが、花の一番美しいのは開花直後であり、気象条件と自身の老化でなかなか難しくなって、シャッターを押す情熱が失せつつあります。

でも最近は皆さんのブログで拝見する美しい花の写真にうっとりと見とれています。


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by haikutarou | 2019-08-19 07:07 | 七十二候 | Comments(2)

台風一過

昨日の急な大雨にはびっくりしました。

外の風が騒がしいなあ~と思いながら昼寝の最中でした。

「あ!」と気付いた時に、開け放していた窓から大雨がもろに部屋に降り込んでいました。私が気付くまでの時間がどの位だったか?多分10分ぐらいだと思いますが、窓際の絨毯が水浸しで雨の中のパター(ゴルフ)の練習が出来そうな状態でした。

いやいや、本当に驚きました。


台風の直撃は有り難くないが、その後の台風一過の清々しい大気の青空が好きです、まあそれはそうだ、私だってそうよという声が聞こえて来そうですね。


高山の山頂で台風一過の夕暮れ、朝の御来光の素晴らしさといったら、此の世の物とは思えない神々しさで誰でも大自然に首を垂れて崇拝者にされてしまいます。


これは余りお勧め出来ないが、台風の進路を計算して台風に当たるようにして、山小屋に入るという無茶な事もしたことがあるくらいに魅力的な高山での台風一過なのです。


現在はGPSに点ポイントの天気予報で安全登山は向上していると思いますが、昭和の登山技術に天気図を読む、書く、磁石を使って現在位置の確認は必修項目でした。私も我流でしたが結構無理な登山をやりながら「万事休す、もうダメかも」という非常事態は一度だけでした。これは運が良かった以外の何物でもなかったのかなと思います。


登山用品は高価ですが品質保証されたメーカー品を装着していました。この値段の差が万事休すの時の明暗を分けたと確信しています。それは現在でも不変だと思います。


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by haikutarou | 2019-08-17 07:06 | 日日闊達に(日記) | Comments(4)

私が母の本名が「ナツ」だと知ったのは中学生になってからだと思う。

どうやら、この「ナツ」が嫌いで子供たちにも学校にも「奈津子」で通していたようです。

母は7人兄妹の下から二番目の女の子で真夏の暑いときに生まれたから「ナツ」でいいだろうという、いい加減な命名に反発というより、ハイカラ好きの母に「ナツ」は屈辱だったのだろう。

伯父や伯母さんたちは「なーちゃん」と呼んでいたと思う。


とくかく、名は体を表すというが暑さに滅法強くて、当時の流行だった簡単服(ワンピース?)姿で授業参観日に来る母の姿は級友たちに「おまえのかーちゃん、べっぴんさんや」と言われるのが私の密かな喜びでした。

苦労ばかり多かった母の一生だっただろうが、日の当たる場所のあった事も記しておこう。

お盆だから。


写真の花は盆花として知られている「千屈菜(みそはぎ」」です。元々薬草として古くから使われていて、地方によって多くの名前があるようです。

なぜ盆花となったかは所説ありますので興味ある方は調べて見てください。

田舎ではもう一種、盆花としていたのが「紫苑(しおん)」ですが、この辺りではとんと見掛けませんね~初秋の風にそよいで好きな花でした。


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by haikutarou | 2019-08-15 07:15 | 折々の一句 | Comments(4)

実家の熊蝉の蝉時雨「シャーシャーシャーシャー」は強烈な夏の風景でしたから、関東にきてあの蝉時雨がなくてしばらくは盛夏の気がしませんでした。今でも無性に蛙の蝉時雨が恋しくなる時があります。

実家では蜩の鳴き声を聞いた記憶が無く、蝉の種類も西と東ではずいぶんと違うものだと感じていました。


田舎では8月の裏盆は実家に墓参りに行く習慣があり、母に連れられて隣村まで木炭バスで墓参りに行っていました。

母は網元のお嬢さんで、農家の跡取りだった父との結婚の条件に「農業はやらない」という条件を出したそうです。父も祖父も困ったと思いますが、私も子供心にも母は美人だと思っていたくらいですから、父が惚れていたのか、母の条件をのんで、裸一貫、満州で一旗揚げるべく二人で異国の地に渡ったそうです。


その蜜月も長くは続かず、日本の敗戦で別々に帰国、父は敗戦で大混乱の祖国で

何とか仕事と住み処を確保して実家で待機の母と私を高松市に呼び寄せましたが無理がたたって父の体を病魔が襲い、「子供たちを頼む」が最後の言葉だったそうで、まだ三十代後半だったはずです。


結局、母はあれほど強く拒否した農業を、幼児4人を抱えてやらねばならないはめになりましたが、再婚は子供たちが可哀想だからと頑張り通した根性は凄い女性だったと思います。殆どが手作業の当時の農作業はお嬢様育ちの女性にはどれ程過酷な事だったか想像すら出来ません。

ほかでどうだったが知りませんが、私たちには父の悪口も愚痴の一つも聞いたことありませんでした。

結局、母も父に惚れ込んでいたのかも知れません。


あまり昔の事を話さない母でしたから、途切れ途切れに聞いた母の話をこうして、文字にしてみると、改めて母の凄さと有り難さが胸に染みます。

当時は誰も大なり小なり生きる事に必死だった時代ですから、自分が凄いことをしていることさえも判らなかったのかも知れません。


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by haikutarou | 2019-08-13 07:15 | 七十二候 | Comments(4)